ポンプあいらんど

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▼川中島など北信濃の領有をめぐって5度にわたる戦いを繰り広げた武田信玄と上杉謙信。両雄が隣り合っていなければどちらかが天下を取っていただろうと考える歴史好きは多い▼晩年になって西上した信玄は三方ヶ原(静岡)で徳川家康・織田信長連合軍を蹴散らし、謙信は加賀・手取川の戦いで柴田勝家や前田利家ら織田のオールスター軍団を撃破しており、「戦国2強」の見立てに説得力はある。両雄の西上は後顧の憂いを残したもので、謙信は西上の途中にも何度か後退して武田などとの戦いに時間を割かれている。両雄とも道半ばで病に倒れた▼敵方大将の死という幸運に2度も救われた信長は武田、上杉両軍の強さに肝を冷やした。信長は新兵器である鉄砲への集中投資を加速して戦いのモデルを革新し、天下を手中に収める寸前まで突き進んだ。秀吉、家康につながる歴史をつくったのは、信長にモデル転換を決断させた信玄、謙信だったとも言える▼SS業界も各地で川中島の戦いのような地域戦を繰り広げてきた。その間に異業種の参入に遭って疲弊している。いまの時代は戦国末期と同様に技術革新の時代。消防法改正でSSモデルが自由度を増すところに来ている。大資本を手にした信長のような巨額投資はできなくても、新しい経営モデルに踏み出すべきときだ。