関東・東京 連載

【石油の力 SSの力】第358回 静岡県袋井市  元お笑い芸人

 若手漫才日本一決定戦「M―1グランプリ」で昨年12月、「ミルクボーイ」が優勝した。「頑張っている後輩の姿を見てうれしくなった」と感慨深げに話すのは永田石油ガス(静岡県袋井市・コスモ系)の永田敬壱社長だ。プロのお笑い芸人からSS経営者に転じた異色の経歴の持ち主。「漫才のツカミもオチもすべてはお客様のため。商売は違えど基本は同じ」とお笑いに日々磨きをかけている。

「笑顔は地域密着のエネルギー」と笑いが絶えない永田社長(中央)とスタッフ
「笑顔は地域密着のエネルギー」と笑いが絶えない永田社長(中央)とスタッフ

 「小学生のころから、夢はテレビに出ること」。クラスの人気者で、人を笑わせるのが大好きな少年だったという。地元の高校を卒業後、お笑い芸人を目指して大阪の専門学校に入学した。同級生と「フレンチキッス」を結成。漫才がスカウトの目に留まり松竹芸能に所属したが、鳴かず飛ばずで解散。2003年に松竹の先輩と「のろし」というコンビを組むと、「松竹大阪の若手ホープ」と言われ、破竹の勢いで活躍した。
 07年に上方漫才大賞新人賞、08年にABCお笑い新人グランプリ新人賞を次々と受賞し、最盛期は関西や静岡でレギュラー番組3本を抱えたものの、その流れに乗り切れず失速。永田氏は「最終的に(のろしは上がらず)くすぶった」と笑い、「結果を出し続けるのは本当に難しい」としみじみ語る。
 11年のコンビ解散後、ピン芸人「サンライズけいち」として再始動。松竹の先輩、TKO木下隆行さんの「東京で真剣に勝負してみたら」のひと言で東京に進出したが、期待は打ち砕かれる。「手も足も出なかった。でも『東京へ行ってみたかった』ではなく、『東京は凄かった』と思い、吹っ切れた」。15年に芸人を引退した。
 「これまで好き勝手してきたが、これからは家族や地域のために生きよう」と決意し、3代目として家業のSSを継いだ。元芸人の経験を生かし、新しい取り組みにも挑戦。サービスルームで「元お笑い芸人と作るショートコント」を開き、ネタのアイデアを出し合う参加者と“お笑い談義”を繰り広げた。
 手作りの新聞「永田石油ガスニュース」も2ヵ月に1回発行し、法人客らに配っている。永田氏が妻の両親に嫌われていた話を掲載すると、「自分のほうがもっと嫌われている」と顧客が反応。そのエピソードを次号で紹介するなど、新聞を通じた交流も生まれ評判は上々。
 「固定客がいることはありがたい」とかみしめるように話す。笑いが絶えないSSで「笑顔は地域密着のエネルギー」と“永田節”でうまく締めた。お後がよろしいようで―。