【2020 新年特集】 東北特集1 台風18号被災SS再建へ
昨年10月の台風19号豪雨とその後の大雨では福島、宮城、岩手の3県で河川の氾濫が相次ぎ、3県合わせて82ヵ所のSSが被災した。中でも宮城県丸森町と福島県いわき、郡山両市では設備が損壊する甚大な被害も出て再起が危ぶまれるSSもあったが、ほとんどのSSが年内に営業を再開した。大きな被害を受けながらも雄々しく立ち上がった3つのSSを紹介する。
【宮城県丸森町 斎藤石油商会SS】「なくなると困る」の声で奮起 本格復旧へ態勢構築
福島県境に近い丸森町金山地区は、台風19号に伴う大雨で阿武隈川の支流から溢れ出した津波のような激流に襲われた。住宅地の道路のアスファルトは激流ではがされ、重い濁流となって斎藤石油商会SS(JXTG系)を襲った。計量機さえも流されたりひしゃげたりする壊滅的な被害だった。
2度目の取材に訪れた11月14日、斎藤良雄社長は手作業で乗用車のタイヤ交換をしていた。「地元のなじみ客から頼まれた。手でやると、こんなにひどい作業なんだなあ」と笑った。
SSで無傷だったのは防火塀ぐらい。フィールドを埋め尽くした板状のアスファルトや土砂を処理し、サービスルームをきれいにするのにしばらく忙殺された。ようやく落ち着いて「これからどうすっか。店を畳むかなあ」と思案した。SSは自分の土地だし借金もない。廃業するのは簡単だった。
それでもSSに顔を出す地元客から「いつ始めるの」「ここがなくなると困るんだ」などと声をかけられると「やめる」と言えなくなった。「店閉めんのか」と聞かれると、「こんちきしょう。この商売で40年以上飯を食わせてもらってきた。やめていられるか」と気力を振り絞った。
灯油シーズン入りし、気が焦った。水没したローリーがしばらくの間は走れるとわかり、角田市のSSで灯油を汲ませてもらい、配達を始めた。A重油の納入先だった学校給食センターが再開すると、配送業者に頼んで納入を始めた。タツノにすぐ設置できる中古の灯油計量機を探してもらい、まずは灯油配達の態勢を構築した。
「私も65歳。銀行も簡単には金を貸してはくれまい。正直、補助金が出なかったら廃業するしかなかった」と斎藤社長。本格的な復旧に向けて、新品の計量機などの機械類を揃える方向で動き出した。
「SS裏の自宅はSSが壁となったおかげで床上浸水だけで済んだ。もらった命だから、やれるところまで地区唯一のSSを守り、住民の期待に応えていきたい」と語った。
【宮城県丸森町 「いなか道の駅やしまや」SS】客がくれた立ち上がる勇気 ローリー配送から新たな挑戦開始
宮城県丸森町の耕野地区にある「いなか道の駅やしまや」SS(八島哲郎代表・PB)はあの日、店の前の阿武隈川の越水で高さ4・5㍍の地下タンク通気管の先まで水没し、壊滅的な被害を受けた。「直後は立ち尽くすだけだった」と言う八島代表だが、「客のためにも再起する」と腹を決めた。
八島代表は取材に訪れた11月18日、SS隣で特産品などを売っていた商店「いなか道の駅」でテレビ局の取材に応じていた。柿小屋で始まる特産の干し柿「ころ柿」の皮むき作業を前にした下取材。話はあの夜の出来事に及んだ。
大雨の降る10月12日夜、消防団員として近隣住宅の土砂崩れ現場へ向かった。その途中、行く手の山が目の前で崩れ出した。2次災害の危険が大きいと判断し、やむなく退却。川沿いの国道、駐車場から10㍍近く階段を上った安全な造りの道の駅に避難した。ところが急激な増水であっと言う間に水没し、道の駅にも浸水が及んだ。上げられる物は店の2階に上げ、事態を見守った。暗闇の中、防火塀の先でSSが水没していく様子をうかがうしかなかった。
人口600人余りの耕野地区で唯一のSSを経営してきた八島さんは9年前に道の駅を開店した。「人口減少でSSも先細りするだろうが、交流人口を増やせばなんとなかる」と考えた。春はタケノコ掘り、晩秋はころ柿作りの体験イベントなどが評判となり、ファンが増えていった。
今回の被災でも道の駅の泥かきを手伝ってくれたのは客たちだ。「正直心が折れ、やめてしまおうかと何度も思ったが、『頑張って』と励まし作業を手伝ってくれたお客さんやSSを生活の支えとしている地元民のためにもやらねばと心を奮い立たせた」と振り返る。
SSでは計量機もタイヤチェンジャーもローリーもなにもかも泥水に埋まったが、高台に避難させて生き残ったローリーがあった。往復2時間かけて灯油や軽油を汲んでは客に届けるところから始めた。道の駅も11月30日に営業を再開し、新たな挑戦がリスタートした。
【福島県いわき市 西脇石油SS】浸水1.8メートル、泥に埋もれたSS 応援受け営業再開
いわき市の夏井川流域の洪水で、市内では上流部にある小川町地区の西脇石油SS(JXTG系)は高さ1・8㍍まで浸水し、SSもローリーも泥に埋もれ尽くした。
西脇大三社長は被災直後、SSの惨状を見ても「絶対再建してみせる」と思っていた。「地域のお客さんのためにも、従業員のためにも、被災後お世話になった支援者のためにも、やんなきゃ」と心に誓った。
どこから手を付けたらよいかわからない状況の中、一番最初に確認したのは地下タンク。大丈夫だった。次に廃油タンクなどから周辺に油が漏れ出していないか確認に歩いた。「農村地帯で地域の農家に迷惑をかけたら大変だ」。周辺を何度も歩いて、U字溝や田畑の状況を見て回った。
従業員みんなで泥のかき出しから始め、必死に働いた。営業再開が1日でも遅くなれば損害は膨らんでいく。JXリテールサービスは東京から4人の社員を派遣し、泊りがけで手伝ってくれた。各種機器メーカーも計量機やPOSのデモ機などを迅速に手配してくれた。被災確認から25日目の11月7日、想定より早く営業再開にこぎ着けられた。
2回目の取材に訪れた12月初め、西脇社長は1冊のノートを見せてくれた。SSで起きたこと、その日やったことが細かく記録されていた。「〇〇さんからコロッケ6個」「△△さんからまつたけおにぎり10個」。友人知人からの差し入れも細かく記されていた。
「支援物資をいただいた方の中には知らない人も多かった。こんなにも応援してくれる人がいるのか。その気持ちがうれしかった」。落ち着いたらお礼に出向くため、名前や連絡先などを教えてもらった。
「大変な日々だったが、それよりつらいのは仕事を終えて灯りのない自宅に帰るとき」。3月まで二人三脚でSSを切り盛りしてきた妻かぬいさんが傍らにいない。7月に病で亡くなった。「生きていたら私以上にてきぱきと動いてくれていただろうに」と、しみじみ語った。