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大分 荒金登志美さん 湯のまちほそ腕繁盛記㊤

夫の政治活動も支えて
〝日本一の湯のまち〟でいつも明るい笑顔の荒金さん(大分石油会館で)
〝日本一の湯のまち〟でいつも明るい笑顔の荒金さん(大分石油会館で)

 日本一の湧出量を誇る大分県の別府温泉。荒金石油店(PB)の副社長として経営を切り盛りし、フィットネスクラブと特別養護老人ホームを運営。そして県会議員の夫の政治活動を“ほそ腕”で支えている――それが荒金登志美さんだ。
 大分県佐伯市で長女として生まれ、下は弟。女の子1人とあって大切に育てられた。愛らしい笑顔でみんなから可愛がられ、さっぱりした性格で、女の子の間でも人気があった。
別府で母親が経営していたクラブに客として来ていたのが荒金信生さんで、登志美さんとも顔なじみだった。荒金さんはかなり好意を持っていたらしい。
 ある日、荒金さんがSSで仕事をしていた時、登志美さんがたまたま前を通りかかった。荒金さんは、このチャンスを逃さずに声をかけ、家まで送ったことがきっかけになり、親しくなった。
 荒金家は江戸期から続く地主で、出光興産に勤めていた親戚がSSの将来性を見込んで荒金さんの父親に勧め、1969年、畑だった土地を造成して開業。モータリゼーションの波に乗って、経営は順調だった。
 荒金家はもともと地元の声望が高く、周りの勧めもあって荒金さんは市会議員に出馬することにした。一方で、「議員になるためには独り者より妻がいたほうがいい」と言われたため、登志美さんに結婚を申し込み、登志美さんも「人柄の良さような人」だったのでOKした。
 荒金さんは選挙に出るのは初めてで、もちろん登志美さんにとっても未体験。立候補者の妻は重要な役割を求められるが、知らない政治の世界のことばかりだった。応援してくれる人たちへのあいさつ回りから選挙事務所に来る人の接待まで、経験者に教えてもらいながら、必死になってやり抜いた。
 75年に市議に初当選、4期連続で当選し、90年には県議に出馬し、現在まで9期連続当選。副議長、議長も務め、登志美さんは懸命に支えて来た。
 「選挙には目に見えないお金がたくさんかかります。でも、そんな多額のお金は家にありません。しかも主人はお金に無頓着。議員の立場を利用して財産を増やそうなどと全く思わない人ですから、いつも困っていました。」
 それでも、地元を思う熱い心と、穏やかな人柄が慕われて当選を重ね、通算45年間、別府と大分県の未来を見つめながら政治活動を続けている。